千利休とわび茶(茶道)

2021.06.24

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茶道と千利休

お茶というと、茶道を連想する人も多いのではないでしょうか。 そして茶道とくれば千利休、「茶道はよく知らないけど、千利休なら聞いたことあるよ」という人もいるかも知れません。
いわゆる「茶道」、「わび茶」の成立に大きく寄与をした利休。しかし実は利休は厳密には茶道の祖ではありません。

茶道というと、「何か精神性のある堅苦しいお作法」という印象を受ける方もいるかも知れません。 いわゆる「茶道」とは、15世紀後半(室町時代後期)以降に展開した、 精神性を伴う作法としての、「茶道」や「わび茶」と考えて良いと思います。

茶道のルーツ

茶道のルーツとして、栄西が挙げられます。栄西は臨済宗の開祖です。茶道でよく見る抹茶法(粉末のお茶をかき混ぜる飲み方)を広めたと言われています。 鎌倉時代に、栄西が鎌倉幕府の三代目将軍、源実朝に薬として飲ませた、という記録が残っています。 室町時代に入ると、武士たちが茶を飲む楽しむようになります。

わび茶の始祖達

わび茶を始めたといわれるのは、珠光(しゅこう)と呼ばれる人物です。 珠光については史料が少なく、不明なところが多い人物ですが、茶には「冷え枯れる」精神が必要であると考え、わび茶の精神を追求しました。 その後、堺の商人だった武野紹鷗(たけのじょうおう)がわび茶の精神を追求し、作り出された茶道具や教えが弟子たち(千利休も弟子でした)に引き継がれてゆきます。

まとめ

利休の茶道は、簡素さを主体とし、茶室は二畳、済を壁土で塗り込めた室床(むろとこ)や躙口(にじりぐち)作り出しました。 更に竹製の茶杓や黒楽茶碗などを使い始めたのも利休です。
千利休の千家では、一族を名門の大名家に仕えさせました。政治的にも立場を確立した千家ですが、現在でも利休の心を伝えています。
武野紹鷗が成立させた茶道を、利休が引き継ぎ完成させたということができるでしょう。

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